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薬と方剤

カワムラ薬局 河村 昭

〈 第8回 〉

 聞いた話だが薬のメーカーが新規に漢方エキス剤を作ろうとする時、以前ならまず手がけるのが葛根湯にきまっていたが、その後だんだん小柴胡湯にかわったのだそうだ。いささか旧い話で恐縮だが1989年の日本の漢方製剤の生産額は1434億5千万円であり、その中で小柴胡湯の生産額は360億円に及んでいたという統計がある。同じこの年に小柴胡湯による間質性肺炎の副作用が引き起こされパニックが生じたのはまだ記憶に新しい。しかし、その後も一頃ほどではないが小柴胡湯はよく使われているという。

 それはさておき、ここに西も東もよくわからないが実行力に富んだ人がやみくもに漢方エキスの製造を始めたいと私にアドバイスを求めて来たとしたら、私は迷わず矢数道明先生の『漢方処方解説』を読むようにすすめようと思う。先生は何よりもまず、すぐに実用に供し得るものをと念願してこの本を作ったとはじめに述べておられるからである。思うに良い本というものはどれほどかけがえのない先生であることだろう!私は35年前にこの本を入手してからずっと手放したことがない。ゴム紐を十文字にかけてないとバラバラになりそうになって同じ本を新しく買った。「重要処方」が150処方、次に大事な欠かすことのできない「常用処方」が100処方、初めて漢方を勉強する人にも、かなり知識のある人にもよくわかる懇切な説き方で、今年96才になられた矢数先生の温厚で篤実な人柄がにじんでいる。

 この本の重要処方解説が全体のほぼ90%を占めていて例えば、小柴胡湯などは勿論このAランクの中に入っていて、それも8頁をたっぷり使ってわかりやすく説明されている。一般的な処方でもたいてい3~4頁を与えられて納得のいく解説に出会うことができる。一方Bランク常用処方の方は1頁に2処方、どうかすると3処方詰めこまれているが短い説明の中に要点はおさえてある。ところで35年前に買った初版本ではBランクの常用処方だった「清上ケン痛湯」が増補改訂版の新しい本では格上げされ、大出世を遂げて重要処方に加わったばかりか何と小柴胡湯の8頁を上回る実に10頁の紙数がさかれた処方は「清上ケン痛湯」の他にはない。初版本ではわずか5行しか与えられていなかった処方だが色々な本の中でしばしば沢山の先生方の賛嘆の言葉を恣にしているのを見るにつけいつともなく、この処方の熱心なファンとなっていた私は矢数先生の改訂にはひざを打って大いに我が意を得たものである。(薬局製剤の193処方の中にもちゃんと収録されているのはよろこばしい)・・・話がはしから横道にそれて申し訳ないが『寿世保元』という1615年の本に載っている方剤で「一切の頭痛の主方、左右偏正を問わず、新久みな効を奏す」とある。頭痛の薬だから大方の先生もよければ試効を重ねてこの妙方を自家薬籠の中に加えていただきたいものである。

 さて、矢数先生の『漢方処方解説』の「小柴胡湯」の項を見てみよう。何度もくどいが、風邪は万病のもとというけれども、もう少しうがった言い方をすれば風邪は少陽病の息がかかると不思議な変化を遂げて万病に姿をかえるということもできる。このあたりの消息が先生の本で実に具体的に示される。書き出しの1頁半をできればここに丸写ししたいところであるが、要点をかいつまんで言えば、呼吸器疾患、肝胆胃部疾患、泌尿器・腎疾患、精神科領域等々に分類されてはいるが60以上の病名が列挙されている。これらの病名が小柴胡湯の治療でカバーできるわけである。先生も「漢方処方の中でこれほど応用の広いものはない」と言っておられる通りである。

 しかし、病名から小柴胡湯が決められるのではない。現代医学のドクターはまず診断によって病名を決定され次にその病名によって治療方針をきめられる。私ども薬剤師は診断や病名決定の資格はない。したがって病名が診断が診断によって決定し、その病名によって方剤が決められる現代医学の領域にあっては、ドクターがかかれる処方箋に従って調剤する仕事以外には最近量販店のおかげでとみに売れなくなったOTCのほこりをはらいながらむなしく期限切れと待つくらいが関の山だ。しかし繰り返していうが病名から方剤がきめられるのではない。病気には別の方向からのアプローチと把握がある。実証主義・科学的合理主義に依拠している現代医学からすれば、それは単なる妄想、空想のまよいにすぎないと断じられるかもしれないが。全然別の見方によって把握される体の仕組み・病気のシステム・なりたち・機構、すなわち「病機」を「証」という。そうして病名が方剤を決めるのではなく、証が方剤を指名するのである。何万とある漢方の方剤の中で、ベスト10に入るに違いない小柴胡湯のような特別な方剤だけでなく、すべての方剤が証によって呼び出されるのである。従ってわれわれ薬剤師にも証の研究の道はひらかれている。この医療の鍵である弁証論治が大切なゆえんである。

 ちょうど小柴胡湯の話がうまく「弁証論治」に結びついて、きりもよいのでわたしのたどたどしいお話もここらあたりで終わらせていただきます。長い間貴重な紙面を与えて下さって本当にありがとうございました。(完)

(広報誌「清流」第56号(2001.10.1)より)

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