〈 第一回 〉
漢方の基礎という重々しい題でむつかしい理論を開陳することは骨がおれるし、第一私には荷が勝つので、他の方々の流儀で私もフリートーク式に漢方について何回かお話しさせていただくことにした。私は漢方の理解者が増え、理解者が愛好家にかわり、ついにオタクとなってわが同志が増えることを願っているからである。孔子も言っておられるように、「子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者。 (子の曰わく、これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者には及ばない。) 」出来れば楽しむようになりたいと思う。そうなれば本を読むのも苦になるどころか、睡魔も呆れて襲ってこないという具合になる。いずれにせよとにかく本を読まねばならないのであるから。
今時、本の洪水だが私もせいぜい怠りなく新聞や雑誌の本の紹介には目を配っている。もしかすると、これらの本の中にわが人生観をガタガタと震撼させ、わが進路に大修正をせまられるような凄い本が潜んでいるのかもしれないと疑心暗鬼にとらわれるのだ。それに書評家たちがこれまた腕によりをかけて、言葉巧みに誘惑すること、誘惑すること。「何といったって出版業界では同業者なのだから」と思いつつも、ついせっせと買ってしまう。そうは言っても10冊に1冊くらいはよい本に出会うものだ。何万冊に一冊というような淘汰を経た古典の価値は言うまでもないが後から後から現れる新刊書の氾濫も気になる。
何年か前に手に入れた『DNAとの対話』(ロバート・ポラック、中村桂子訳・早川書房)が手元からはなせなくなった。その実、何回読んでもよくわからないのだが繰り返し読まずにはいられないボルテージの高い本だ。かたい頭にはなかなかしみこんでこないが、いたるところに目からうろこがおちる思いをするサワリが用意されているので助かる。たとえば、「…このDNAというみごとに折りたたまれた分子のすばらしさを正しく認識するために、一例をあげよう。人間の細胞内のDNAをほどいてまっすぐに伸ばしたとしたら、一本分でおよそ0.9メートルほどになる。DNAの縦の長さはその幅の一億倍であり、それだけみごとな細さだからこそ、DNAが核の中に収まっていられるのだ。だから人間の細胞一個のなかのDNAを、腰まで伸びた髪の毛の一本のなかに、電話線の中のワイヤーのように束ねたとすると100億本入れられる。100億という数は、いま地球上にいる人すべてのDNAの本数とほぼ同数である。つまり人間という種に関する遺伝子の古文書がすべて、一本の髪の毛の中におさまってしまうわけだ。…」まだまだこれから長い間、私はこの本を齧る楽しみを捨てる気はない。
いつになったら漢方の話になるかと叱られそうだが、「漢方の基礎」を一望できる場所に行くこれが近道なのだと思うのでもう少しおつきあい下さればとお願いします。
(広報誌「清流」第37号(1997.12.15)より)