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防府薬剤師会のあゆみ

〈 その7 〉

松村薬局 松村 敏輔

 防府市における三師会の発足について当時を思い浮かべ乍ら述べさせて頂きます。
我々薬剤師の願望である分業達成のためには三師間の信頼と何らかの協力が必須でありそれには先ず親睦の機会を作ること、そんな認識は誰もが心に秘めていた。その一つの行動として市内衛生五団体親睦野球の音頭とりなどやって参りました。然しそれは多少の顔見知りが出来た以上のものではありませんでした。

 そんな折渋谷 喬先生の県議会の出場が決まり全力で戦ったもの、残念乍ら落選、悔しい思いを致しました。その二年後補欠選挙が行われることになり再度出馬を決意されました。前回敗戦の反省からここで医師会、歯科医師会の協力が得られて三師の推薦と云う形が出来ないものかと、時の先輩(河村、土井、山内、白松・・・)方の努力の結果、三師の方々二十余名の集合を開く事に成功、協議の結果、渋谷候補に対し全面協力を頂くことになりました。三師会とは呼ばなかったけれども、三師が一堂に会した事はこの時が草分けであったと思います(昭和39年?)。選挙の方は、松本 充正(松本外科)先生を後援会会長に頂き苦戦はしたもの、見事当選の栄を得ることが出来ました。その頃から各会の新年宴会(薬剤師会のみ総会)時に各会長の出席もはじまり、更に進んで正規の三師会規約も出来、以後は各会当番制にて幹事を引き受け各会6名程度ではあるが年一回の役員総会を続けて参りました。惜しむらくは分業進展元の話題には欠しく、もっぱら親睦会に終始した様に思います。

 一方、三師会の最大の協力は選挙協力で、以下次のようなものがあります。渋谷 喬先生三度目の県議出馬(昭和45年?)前回同様の形態にて全面協力を頂く、善戦するも残念。神徳 通也先生市長戦出馬、此の時は最重要作戦会議十数名の中の一員として薬剤師会代表が数度の会議に出席、後援会名簿の収集、演説会への動員など連日協力した、残念な結果に終わる。渋谷 正先生市長選へ出馬、候補の日本新党入党に際し神徳 通也先生の御尽力を頂いた、多数の三師の先生方の協力を得ることが出来た。よくやったが苦汁を飲む。高村 正彦先生衆議院選(初回)、大西 力(大西眼科)先生が防府市の後援会長を引き受けておられた関係で要請により全面協力することになり度々会合への出席票集めに努力した結果は初当選、後に防府調剤薬局の開設に大変な御尽力を頂いた背景の一助になったかも知れません。

 以上述べて参りましたが残念乍ら史実(年月日)に乏しく思い出話的で申し訳ありませんが防府市に於ける三師会の流れの概要と御理解頂ければと思っています。現在では中央、地方を問わず行政面でも三師の位置付けは定着して参りました。今後も進むでしょう。我々としても出来るだけ対話の機会を得てお互いの理解を深め更に信頼へと進む様日々心掛けて行きたいと願っております。

(広報誌「清流」第57号(2001.12.20)より)

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