防府薬剤師会のあゆみ
〈 その6 〉
松村薬局 松村 敏輔
分業法案で苦敗を喫した日薬の反省として薬剤師の政治力の弱さを指摘する動きが全国的にたかまり、中央において国会議員を、地方でも県議、市議擁立の気運がたかまってまいりました。
そんな中、防府薬剤師会からも渋谷嵩先生の県会議員への出馬が決まり、そこで薬剤師会としては初めての選挙戦なるものを経験することになりました。土井賢隆(現誠一氏の祖父)、山内秀之両先生が参謀格となられ、連日腕組姿の多かった両先生が思い出されます。我々会員の先頭に立って指導されたのがカワムラ薬局の先代 河村順建先生で特に個人演説会で応援弁士をやらざるを得なくなった若い会員にとっては救いの神様でもありました。当時は会場でヤジはあたりまえの様なもので、未経験な若い私共が立つとあちこちからヤジが飛び、時には立往生の状態に追い込まれることもありました。そんな時助け舟として立たれるのが河村先生で、会場も落ち着き、後で来場される候補を迎えることが出来た事を思い出します。
その時の選挙で、今思い出しても異様に感じられる風景がありました。学童の動員です。対抗陣営が小学生20名位を集め、候補の名前を連呼しながら天神町、駅通りを練り歩くのです。必然的に吾が陣営も追従せざるを得なくなりこれに対応。次の日は30人、その次40人と最終日には50人余りの小学生が大声をあげて歩く様はどう見ても異常としか思えませんでした。この戦術は以後の選挙では見る事はありませんでした。残念ながらこの選挙では涙をのむ結果に終わりましたが、薬剤師を政界へ出そうという気構えは失われることなく、年をおいて今度は土井賢隆先生が市会議員選挙に立候補を表明、これに薬剤師会全員で応援に取り組むことになりました。今回は苦手な個人演説会はなく、専ら街宣車に終始いたしました。ウグイス嬢の存在はなく運動員(薬剤師)の思いつき放題「市政を明るくする土井」「正義と熱血の男、土井」………。そのうち誰が言い出したか「やさしい名前の土井」これには一同大笑いしたが、案外笑ろうてくれて印象づけにいいよ、という声も出て、結局最後まで続けたのは「やさしい名前の土井」が一番多かったと思います。
若いから出来たことでしょうが苦笑しつつも当時の同僚の顔が思い浮かびます。政治力強化のため防府薬剤師会が取り組んだ歴史の一端をお伝え致した次第です。
(広報誌「清流」第47号(1999.12.20)より)