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防府薬剤師会のあゆみ

〈 その4 〉

松村薬局 松村 敏輔

 昔を思い出しながら書くわけですから歴史的な正確さはお許し頂いて、昭和22年、私が防府薬剤師会へ入会させて頂いて初めて知ったことがあります。それは、先輩諸先生が心の奥深く引き継がれてきたのが分業に対する願望であったということです。薬剤師でありながら別世界の職についていた私は改めて薬剤師の職能を考え直す動機となり、それ以後私の頭の中にも何時も分業意識が燃え続けてきた様に思います。

 注当時、先輩の分業への意欲を知る一例としてこんなことがありました。昭和23~24年の頃と思いますが、防府薬剤師会の総会が富海の河杉旅館で行われた時、二代目柏木幸助氏(柏木体温計社長・金沢薬専卒)をお招きして、初代柏木幸助氏の分業への取り組みのお話を聞いたことが思い出されます。初代幸助氏は、日本で初めて体温計を発明し発売された方、アルコール醸造を手掛かりにヂアスターゼの製造にも成功された薬剤師で、県下の薬剤師に呼びかけ現在の県薬剤師会の基礎を作られた方でもあります。この柏木幸助氏の分業運動はかなり本格的で、当時、多分大正初期頃ではないかと考えられますが県選出の代議士、大楽、もう一人は神光寺?(脳細胞がチビテ不詳)を後援し国会にて法的解決にもっていく段取りであったようですが、残念ながら時機熟さず、ついに立法までに至らず大変悔しがられたと聞かされました。

 思うに、分業については薬剤師が生まれてこのかたの宿願であったのは間違いないと思われます。そんな底流の中、我々の会に於いても経済的話題が中心の例会の中でも必ず分業に関する情報の伝達は必ず行われておりました。

 後に、進駐軍のサムニ准将の一言に端を発し、日本も本腰を入れ、全国薬剤師総決起大会が東京で開催されるなど一大山場を迎えることになります。

(広報誌「清流」第44号(1999.6.25)より)

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