漢方の基礎

カワムラ薬局 河村 昭

〈 第三回 〉

 前回の終わりで中医学に構成力があると言い出したりして、少々唐突な感をまぬがれないと思うが、もうすこし話をするうちにそれなりに妥当な指摘だと認めていただけると思う。

 さて、漢方医学も含めて中医学の広い不案内な世界を探求しようとする時、ちょうどよい羅針盤(コンパス)がある。それは陰陽という考え方だ。ちょうどコンパスの針が絶えずN極とS極(陰極と陽極)を指し示してくれているように、陰陽の考え方が中医学の世界を案内してくれる。

 それはというと、陰陽とはいったい何だろうか。中国古代の哲学思想である陰陽学説によれば、いかなるものもみな対立すると同時に統一のある陰と陽の二つの面をもつものと考える。しかもこの陰陽対立の相互作用と不断の運動は、宇宙万物が生成変化してやまない原動力である。・・・・このような解説はほとんどの入門書の冒頭にでてくるようだが、正直なところ少々鼻白んでしまう。中医学の最も重要な理論的根拠となる古典は『黄帝内経』であるが、就中「素問」の中の章"陰陽応象大論"の二千年の昔からきこえてくる解説文は実に格調高く荘重な響きがある。ーー 「陰陽は天地の道なり、万物の網紀、変化の父母、生殺の本始、神明の府なり。病を治するには必ず本を求む」ーーこれは長い年月の風化に堪えた強い言葉ではあるが、敬遠したくなる人も多いにちがいない。

 でも、私には陰陽というのはそれほど縁もゆかりもない遠い問題ではなく思いのほか身近な、身近すぎて見落としていた魅惑的なテーマではないかと思われる。地中に永く埋没されていてやっと掘り出された中国古代の遺跡のかけらのような陰陽論は、意外に新鮮なものの見方を教えてくれる。私どもは西欧の合理主義の世界観の中に首までどっぷりつかって安住しているが、陰陽論という古式蒼然とした不思議な眼鏡をかけてみると、息をのむような新鮮な世界像が見えて来る。 ーー調子者のとるに足りない軽口と聞き捨てにしていただきたいがーー 西欧合理主義的な世界観が、私にはゴヤが画いた一つ目の巨大な怪物が山のむこうに顔をのぞかせたあの絵を思い出させる。陰陽という眼鏡は少なくとも二つまなこだ。現代の世界を小脇にかかえて立っている合理主義・科学文明は一つ目の巨人なのだ。道化者のそしりを覚悟で敢えて言うならば、この世界を成り立たせているのは合理性だけではなく、不合理性とのセットなのだ。そうして合理性と不合理性、これも陰と陽に他ならない。

 この世界に生まれて来てふと気が付くと、我々はアダムとイブというセットのかたわれだ。陰陽は互根(つまり女あっての男、男あっての女、天あっての地、地あっての天、有限あっての無限、無限あっての有限・・・)、のっけから提供されているこの素朴なヒントを実に素直に受け取るところから思想を開始した、古代中国の賢者たちの古くて新しい陰陽論は、まだまだはかり知れないパワーを秘めているように思われる。

(広報誌「清流」第39号(1998.6.15)より)

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