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防府薬剤師会のあゆみ

〈 その3 〉

松村薬局 松村 敏輔

 終戦時より10年間位の薬局業務の実体はどんなものだったのでしょうか。先ず、取扱品ですが、一般大衆薬は勿論、衛生材料、種類も少なく取扱店も少なかったが雑貨品と現在とあまり変わりはありませんが、唯一つ今では考えられないことといえば、一部の注射薬を販売していたことでしょう。ブドウ糖、ザルプロ(中外)、ビタミン剤主にメタボリン(タケダ)等も自由に販売されていた時代でした。

 注射薬の要望が高かった背景には、戦後復員された多くの衛生兵、従軍看護婦の方々が主導権であった様に思われます。加えて一般の方々にも医者に行けば注射がしてもらえる、してもらえない時は機嫌が悪いといった様な信仰に近い願望のあったことも否めません。

 当時、薬局業務の今ひとつの柱は、所詮、対症投薬でしょう。薬局に行けば薬が作ってもらえる、合わせてもらえる、調合してもらえる、色々な言葉が使われていましたが、とにかく症状を聞いて合った薬を調剤して差し上げる処方のモデルは一般大衆薬が主で、従って、解熱鎮痛剤、感冒剤類、健胃剤、整腸剤、外に外用薬2種類を多くの薬局で調合しておられた様に思います。この対症投薬は戦前より行われていた薬局を特徴づける業務で、処方箋皆無の時代、調剤室を活用する唯一の手段として先輩から受け継がれた貴重な業務であったと思います。

 防府市でも大衆薬は一切おかず、対症投薬のみで大成された先輩もおられました。昭和33年、厚生省より現在の薬局製剤の前身に当たる47処方が制定され、その取り扱いが非常に煩雑になったのに加え、処方内容も大衆薬とあまり変わらず、更に世情も苦い粉末よりも錠剤・液剤を、それにメーカーの製剤技術の急速な進歩も加わり、今更責任も問われる薬局製剤を作るのもどうしたものかと言う気風になって来ているのが現状の様に思えます。

 今から思うと、当時、一般の方々からの医療面での薬局に対する依存度はかなり高かったように思います。勿論、処方箋を扱う依然のことですが・・・。今回は、当時のことも思い出しながら薬局の業務をお伝え致しました。

(広報誌「清流」第43号(1999.3.15)より)

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